エッセイ

ベレー帽をかぶったネコ。

2019年8月19日(月)

 

三越で開催されている”世界ネコ歩き展2”を観に行く。

撮影可能エリアで、ご婦人に写真撮影を頼まれた。

(おそらく)母と娘の2人組で、声をかけてきたのはグレイヘアと笑顔が素敵なお母様。

 

 

「ごめんなさいね。」と微笑むお母様の横で、娘さんは「いいって、いいって…。」と怪訝そうな顔をしていた。(まぁ、気持ちはわかる)

 

 

娘さんはおそらく、わたしよりも、ちょっとお姉さん。

2人の姿を携帯の画面越しにのぞいて「はい、チーズ!」と言っていたら、なんだか切なくなった。何かがこみ上げた。けれど、(よく撮れていないと悪いから)一応2枚目も撮った。

 

 

いいなぁ、いいなぁ、と思う。

 

 

買い物をしている時や、カフェでわたしと同じくらいの娘さんとお母様の2人組をみつけると、いいなぁ、と思う。

 

 

あぁ、そういえば、わたしもテンション高く「写真撮ろうよ!」という母が恥ずかしくて、「いいよ、いいよ…。」と言って避けていたっけ。

もっと写真を撮ればよかった。

ここ数年で一緒に写っている写真なんて、1枚もなかったじゃん。

 

 

わたしの写真フォルダ、食べものの写真ばっかりじゃん。

 

 

「人は、自分の欲しているモノだけ目に入るようにできているからね。」、ととある人に言われたことがある。

例えば、「赤い靴がほしいなぁ」と思っていたら、道ゆく人の足元に注目して、赤い靴を履いている人がいたら、意識がそちらだけにフォーカスされるそうだ。

 

 

それが、わたしにとっては母と娘の2人組なのだろう。

わたしだって、少し前まで、そんなこと意識もせずに生きていたのにな。

自分の将来のことばかり考えていたのにな。

 

 

わたしが、母のことをブログにアップすると、

「わたしも母との時間を大切にしたいと思います。」

というメッセージが届くことがあるのですが、これはもう取り戻せないわたしにとって、中々に心にダメージをくらうので、ご遠慮いただければと思います。

 

 

わたしは”こうなれば幸せだ”、という未来理想図に突っ走る傾向があるのですが、もしかして、平穏に今日1日過ごすことができたというだけでしあわせなのかもしれないなぁ〜なんて思うようになってきました。

生きている、それだけでもう価値があったんだ。何をしてもいいんだ。

 

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世界ネコ歩き展は、とてもよかった。

ネコの自由さや、それでいて自分をもっている姿や、世界の美しい街並みの写真をみて、

「世界は広いにゃ〜」とか、「ネコ飼いたいにゃ〜」とか

そんなことをぼんやり思っていたのに、一瞬でしんみりとしてしまった。

 

 

このまま帰るのはまずい…と思い、そそくさとエスカレーターを降りて、新潟珈琲問屋バリストンクラシコさんに寄る。

ワッフルとカフェラテを頼んだ。

 

 

この店のよいところは、カフェラテを注文すると”あっさり”か”こってり”か選べるところ。

まるでラーメンだ。

わたしのように、珈琲の苦味が苦手な方には、あっさりをおすすめする。やわらかくてとても飲みやすい。反対に、コクとか苦味が好きな方にはこってりをおすすめする。

立ち振る舞いがカッコいいなぁ…と以前から思っていたお姉さんが、ベレー帽を被ったネコちゃんのラテアートがほどこされたカフェラテを運んできてくれた。

 

 

お姉さんが「帽子、似せてみました。」と言いながら、コトッとカップを机に置く。

(わたしは、ベレー帽を被っていた)

 

 

泣きそうだった。

 

 

ネコ歩き展の余韻(いい余韻も悪い余韻も)が残るままだったので、とても嬉しかった。

気持ちが嬉しかった。

お姉さん、ありがとう。