2019.11.8
読者の方と、モーニングを食べた。
夜型人間のわたしは、絶賛、”朝型にチェンジすることで、本当にメンタルは改善するのか?”実験中なので、早起きの口実になるよう予定を作った。
おかげさまで、とても楽しい午前中を過ごせた。
初対面なのに、涙を流して爆笑する。こんなことは、久しぶりだった。
彼女は、
「わたしも、正社員とか無理なんで、家で出来る仕事を受注して生きてますよ。自分は何者なのか?よく分からないし、周りから見れば何しているんだろう?コイツって思われているかもしれない。ただ、どんなに立派な人でも、死ぬというゴールはまぁ同じだし、自分が楽な生き方で、とりあえず生きていればそれでいいんじゃないんですかね〜」
と言った。
話していると、フッ…と気持ちが楽になり、ブワッと空気が通り抜けるような、不思議な女性だった。
HSPのわたしは、相手が”本音では思ってもいないのに、自分に合わせ(無理して)共感してくれている感じ”を、なんとなく見抜いてしまうのだけど、彼女からは、一切感じなかった。人から「わかりますぅ〜!」と合づちを打たれても、(あっ…多分この人分かってないな…)と察知することが多いのだけれど、シンプルに、”分かり合う”ってこういうことなんだな、と思えた。
「会社員をずっと続けている人は、天才」という意見で一致した。
* * *
スーツを着て参加することが暗黙の了解、のような集まり…例えば、会社説明会などに行くと、周りがみんな凄く見える。話も上手で、敬語も上手。年齢のわりに幼い自分の話し方と、異様に低い精神年齢に嫌気が差す。
けれど、そういう集まりに出かけるから、そういうキチン、と出来る人たちが集まる。
会社員が向いていないとか、人がいっぱいのところに出かけるの無理、という人はそもそも人を避けて家にいる。だから、現実世界では社会に順応できる、凄そうな人しか見つけられないだけだったんだ。レアキャラは、隠れてはいるけど、確かに存在していた。
マイノリティーな自分が、同じような感覚で話をできる人と出会えた奇跡。
やはり、インターネットは素晴らしいと思った。
* * *
到着したモーニングを、お互い携帯の写真におさめながら、
「iPhoneのポートレート機能の、離れてくださいって何?これ以上離れられないよ〜!」
「いや、これ以上、離れられないって〜!!」
と、彼女は言った。
わたしは、笑いながら、すごく共感した。iPhoneのポートレート機能は素晴らしいのだけど、どれだけ離れても、背景がうまくボケないことも多い。
そして、
「ぱりんこさんの、感情とか自分の弱さを言語化して、文章にできるところは本当にすごいですよね。」
「毎日、これだけの長文が書けて、そしてなにより着地点が素晴らしい!!」
「まとめサイトのライティング記事とは違って、読んだ人の心が、感情が、動く文章」
とべた褒めしてくれた。
気がつけばお互い深い話をしていて、境遇も似ていることが分かり、運命を感じた。
出会えてよかった、朝活サイコー、と思った。
モーニングを食べ、食後の珈琲も飲んだあと、彼女は「ココアが飲みたい」と言った。
自分も何か頼みたくなって、メニューを見ると、全部が魅力的に見えた。
お腹がいっぱいで、飲み物だけにするつもりだったのに、土壇場になって、気が付いたらアップルパイと紅茶を頼んでいた。
宣言通り迷わずココアを注文した彼女。運ばれてきたのは、クリームがたっぷりとのった、魅力的なココアだった。わたしも、ココアにすればよかった…と思った。
同じココアでも、家で作れそうな、どうしようもないココアが出たときのガックリ感を知っているから、避けてしまったのだった。けれど、後から、自分は甘くてほっこりとした飲みものを求めていたことに気がついた。
わたしが注文すべきだったのは、まぎれもなく、ホットココアだったのだ…!!!
昨日、選択肢をせばめる発言をしたくせに、またメニューを隅から隅までじっくり見て悩んでしまう、学習しないわたしだ。学びを全く生かせず、結果よく分からない注文をしてしまう自分が情けなかった。
(単品の飲みものと、デザートセットの値段がそこまで変わらないと、お得感を考えて、セット注文に惹かれがちな貧乏性なせいもある。けれど、自分が欲してるものを頼まなければ、心が満たされず、大損なのだ。)
選択肢を少なくすること、情報を遮断することの大切さを教えてくれたスパイスカレー
* * *
「ほぼ家から出ないし、同じ店(チェーン店)しか行かない。」
と話す、読者さん。
対して、すべての情報が頭に入ってしまい、全部がよく見えて悩むわたし。
この自分の特性は多分、どうしようもないし、付き合っていくしかないのだ…と思う。
逆に、この感性があるから、毎日ブログを書くことができるのだ、とも思った。
わたしは、そこら辺に落ちている枯れ葉をみても
「微妙な色づきの違いがあるなぁ」
とか、
季節の移ろいを感じたりする。
冬が近づく気配、空気の冷たさや匂いに思いを馳せて、たくさん連想する。
でも、読者さんは、目の前に葉っぱがあったら、
「あぁ、これは葉っぱだなぁ。」
としか思わないと言った。
今一緒にいるお店についても、
「この店はこんな感じなんだ、いいな、また来よう。」
というシンプルな感想だった。
彼女とわたしは、感覚や、見たものから得る情報量がまるで違う。けれど、なぜか一緒にいて楽だった。たぶん、今後、わたしが迷った時、「今すぐ決められないから、ひとりになって考えてくる。」と言えるような、よい関係になれると思う。
新潟市内のカフェや喫茶店は、気になるところはほぼ訪れたし、頭の中にデータとしてインプットされている。”ココア”ひとつ取っても、お店によって見た目や味は様々だ。
だから、一緒にお茶をした相手が、「ここのココア、すごく美味しい!」と感じても、わたしは、「あそこのココアの方が自分好みだなぁ…」と比較して、気持ちに落差が生じてしまったりする。知ることや知識を蓄えることは、一見よいようで、悪い側面もあるのかもしれない。
もっと単純に、目の前のことだけに集中したい、と思った。
この日記を彼女が見たら、
「はぁ〜!わたしのココアを見ながら、そんなこと思ってたんですか!そして、こんな長文書いたんですか!!」
と目をまんまるくされることだろう。笑