借り物の服を脱いで。名もなき「揺れ」を、そのまま綴っていこう
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「えりさんは、自分にぴったりな洋服があるのに、この場所でこれを着てもいいのかな?と、オドオドしているように見える。」
Zoomの画面に映し出された、自己表現プロデューサーの遠藤エルさんからそう言われて、びっくりした。
まさに、その通りである。
本当は、これを着ていきたいな♩とお気に入りのワンピースとコーディネートを考えたのに、(でも、浮いていたらどうしよう。いい年してドットのワンピースにリボンなんてつけていたらおかしいよね)と、どぎまぎしてしまう。
ごめんなさい。そもそも、遠藤エルさんとは何者じゃ?ですよね。正直わたしもまだよくわかっていない笑
くわしくは割愛しますが、年末、なんとなくピンときた碇(いかり)たみ子さんのオンラインセミナーを受けさせていただいて。
その流れで、自己表現ワーカープログラムのプロデューサーによる自己表現作戦会議(マンツーマン)も受けられるとのことで、1月初旬に(正直、さほど期待せずに)受けてみたのでした。
それが、想像以上にみっちり話を聞いてくれて、なんとも贅沢な時間だった。今、まさに欲していた言葉をすべてくれた。
こんなにも、言葉にうまくできない感覚を理解してくれる人、言語化できる人がいるのか!と衝撃を受けた。(そして、比べることでもないけれど、自分がやっている相談業の質とはレベルが違いすぎると圧倒された)
わたしは、自己表現ワーカープログラムの碇(いかり)たみこさんのメルマガ(ダイアリー)が大好き。どうしてこんなになんとも言えない、ずっと分かってほしかった感覚を表現できるのか?(このことは、また別の機会に語ろうと思う。)
参考 「表現したい気持ち」を仕事にする新しい働き方|自己表現ワーカーアカデミーとは?
わたしは好きな人ほど、紹介ができない。内緒にしていたい、厄介な生き物。自分だけがこの人の素晴らしさを知っていたいんだ!というひみつ主義。
たとえば身近な知り合いが、一緒の講座を受けるとかになっちゃうと、本音を言えなくなるので、いやだなぁと思ってこそこそ黙っている。
本当にいいと思っている方なら、活動を応援したり、レビューを書いた方が力になるとわかっているのにね。というわけで、今回はちょっぴり勇気を出して書いてみた次第であります。
今までは、自分のフォロワーさんや、自分の表現が好きな人とだけ関わって生きてきた。
だけど、ちょっともう一歩先を行きたくて、少しずつ興味のあるコーチング講座に入ってみたり、本当に少しずつだけど、このブログや読者の方の存在を基地にして、外の世界に足を踏み入れてきた。
(どうせ自分のことなんて分かってもらえない‥‥)という過去の傷を抱えた状態で、全員には分かってもらえなくてもいいから、伝える努力はしようと思っているところなのだ。
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さて。冒頭のエルさんの一言から、金言は続く。
「こういう場所には、この服を着なきゃいけない!から、借り物の服を着ようと縛られている感じ。」
「えりさんのブログやSNSを読ませてもらいましたけれど、特にまどぎわメモリーはエモくていいっすね!noteやインスタ、、ブログと全部違うコンテンツを出しているのがすごい。流用している人って、多いのに。」
と言われて、そこも自分では気付いていなかった視点なので、びっくりした。
なんとなくコピペで流用ができない。なぜだろう?
noteにはこれで、ブログにはこれ、みたいななんとなくの線引きがあるみたい。目には見えない、自分の中で。そして勝手に自分で作ったルールを守って、疲れている。
だけど、エルさんの言葉をきっかけに、もう一度この投げ捨てつつあったブログ「まどぎわメモリー」を綴り始めることができたんだ。
「この”好きを仕事にしたら、味がしなくなった”のエッセイはすごくいいけれど、最後の”生き様を書き残す、ライフエッセイ作家”という肩書きが合ってないね」と言われた。(現在は削除)
「ゆらゆらしているのがえりさんの良さなのに、急にしっかりした感じ笑 シンプルにエッセイストでいいと思うよ。」
と伝えると、
「差別化はえりさんの文章表現で十分伝わるから、肩書きはある程度ふんわりしている方がいい。ふんわりとしている中に一本の筋がちゃんとあるから、大丈夫。なんか、肩肘張らずに読めるのがいい。しっかりした文章です!って感じじゃないからこそ、ひきこまれてスルスル読める。」
「えりさんの文章には、ザラザラとかほやほやとか、ふわふわ、ねっとり。みたいな質感?人間くささがあるのがいい。」
は、はぁああああああ。(感嘆)
マーケティング論やSNSで叫ばれる大きな声、これをすればnoteで月100万稼げますみたいな、変な知識を入れれば入れるほど、身動きがとれなくなっていった。
最近は、「知識をつけることが、果たして本当に良いことなのか?」という問いを考え続けている。(考えなくてもいいことをずっと考えている、それが仕事でしょ、と言ってくれた知人がいた)
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この作戦会議を受けるまで、わたしはこんな文章を書いていて、一体何になるんだろう?ビジネスと自己表現は両立しないのでは?と、深くて暗い闇にひきずりこまれそうになっていた。
自己満足では、お金にならない。なっても、少額しか稼げない。このままでは、絶対に生きていけない。
何やってるんだろう、わたし・・・
出版をすることが夢で、そのために今原稿を一生懸命書いてはいるのだけど、「これはいい文章だ!」と自分のゾーンに入っている時はいいのだけど、ふと俯瞰したときに「なんだこのエッセイ?なんの役にも立たないよ!」となってしまう。
本屋さんでエッセイコーナーを見るたびに、あーあ、こんなおしゃれな文章書けないなぁとお金を出して買ってもらえるような本を書ける気がしなく、勇気がしぼんでいく。
だけど、それでも、自分では分かっている。書くことしかできないから、これしかできないから、するしかない。
エルさんから、
「色々手当たり次第やってきて、体験をちゃんとつぶしてきて。書くしかない!にたどり着いたえりさんは強いし、納得感があるよね。何もしてない人は、もしかしたら‥‥と可能性をずっと探しちゃうから。」
と言われて、この行き当たりバッタリ人生も肯定してもらえて、涙が溢れる。
「たぶん、他人との付き合い方というより、自分との付き合い方がわからないのかなって思う。人の目を怖がっているえりさんと、わたしはわたし!と感性まるだしのえりさん。どっちも抱きしめる、真ん中にいる、親代わりなのが今のえりさんの立ち位置にしたらいいのかも。」
「いや、俺もそれでいったらはみだしものですよ。オタクにもなれないし、かといってゴリゴリスーツ着て毎日働く人間にもなれない。でも、ギリギリ生きてんなー。
だから、えりさんがいう、感性豊かなはみだしものにやさしい居場所をつくりたいって、求めている人がきっといると思う!えりさんにとってのやさしい居場所が、どんな場所なのか言語化してみるといいかも。」
「えりさんは、たしかに順序立てて説明するのが苦手なんだろうけれど、だからこそ何を言いたいのかな?と考えて聞くし。「結論から話しましょう」って、愚痴とかいうときに結論から話すやつなんて誰もいねーよ!笑と、思うし、別にいいじゃん。」
「とりあえず、自分をいじめるのをやめようよ。かわいそうじゃん!人より一生懸命生きているから、エネルギーを使うし疲れるんだよ。自分を好きじゃない、好きになりたい。
お金だったら最悪、何かのサポート受ければなんとかなるけれど、自分しか助けられないことにずっと取り組んできたんだよ。めっちゃ生きようとしているじゃん!生命力がハンパないよ笑」
ドバドバドバドバドバドバ・・・チーン。。。(床には、ティッシュの山)
「とにかく、作品を出す。それが結果的に、遠いようで一番の近道な気がするよ。」
遠藤エルさんとの会話のあとで、降ってきた言葉。
もう、誰になろうとしなくてもいい。
もう何者にならなくていい。
何者でもあるんだから。
fin..
追伸🕊️
「作品を出すのが一番の近道」という言葉を受けて、今、一生懸命本の原稿(エッセイ)を書いています🖊️
書きながら、自分の傷が癒やされて、愛おしくなっているふしぎ。
本は誰かのために書くものなはずなのに、まずは自分を救うための作品になるかもしれません。
いつか一冊の本として、あなたの元へ届けられますように・・☕️
どうか、本が形になるその日まで、この場所で応援していただけたら心強いです。
[星七えりの「こそこそtearoom」を覗いてみる ☕️]
(URL: https://note.com/parincafe/membership )





