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お金になる強みがないけど存在しててもいいですか?音楽表現好きな私と、不思議な味の珈琲

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2019.11.6

昨日のブログを坂口恭平さんがリツイートしてくれた。たくさんの人が読んでくれた。坂口さんの影響力はすごい。パワーを感じた。

毎日ブログを書くことを日課にすると言ったら、「わたしは、あなたのブログを毎日読むことを日課にします」と言ってくれた方がいた。嬉しかった。昨日からわたしは、作家になった。”ライター”という言葉がどうも自分にはしっくりこなかったので、ちょうどいい。

 

読者の方からあたたかいDMもいただいた。カウンセリングルームについて情報提供してくれた方もいた。それでもやはり新潟市には少ない。冬季はほぼ曇天で、鬱の人が多い県なのに、どうしてなのだろう?

 

今日は、早起きして、散歩することができた。気分が落ちている時、晴れの日は眩しすぎる。人々から隠れられないし、惨めな自分を見られるのが嫌だ。特に朝方はみんな、行くべき場所に向かう。わたしには行くあてがない。悲しい。メガネをかけて外の世界と自分の間に壁を作ったり、”今日は仕事休みなんですよ〜”というフリをしたりする。自意識過剰と言われればそれまでだけど、こうでもしないと保てない。

 

正直、暗闇の方が落ち着くので、夜の散歩の方が好きだ。誰にもみられない安心感がある。

それでも、精神状態回復のために日光を浴びなくては。

もうすぐ、浴びたくても浴びられない新潟の冬がやってくるのだから。

 

「特技は、パプリカを完璧に踊ることです。」

じゃ、だめなのだろうか??

 

履歴書の趣味・特技欄を見つめながら、考えた。

 

わたしは、勉強も学校も嫌いだったけれど、音楽の授業で、悩んだ事はなかった。リコーダーもすぐ吹けたし、吹奏楽部でもなんとなくやればなんとなくできた。小中高と吹奏楽部だったけれど、高校生になったら”パーカッションは飽きた”という理由でフルートを吹き始めた。部活の後は、ヤマハのミュージカル教室に通っていた。何かを演じたり、表現することがすきだったのだと思う。

 

運動神経はないけれど、リズム感は多分、ある。

ただ、ビジネス的に一銭にもならない。だから、面接の時にこんなことを言っても苦笑されて終わる。だから、言わない。お金になるかならないか…という視点で考えると、自分の強みなんて何もなくなってしまう。

 

ふと思い立って、ジャズドラマーのマスターがやっている喫茶店に久しぶりに訪れた。新潟駅南口から少し歩いたところにある、米山の「カフェ・ドゥ・ラペ」。

カフェ・ドゥ・ラペさんの隠れ家感とマスターに荒んだ心を静めてもらいました。

相変わらず、すごく落ち着く空間だった。

マスターが、『ドラム、またやってみたらいいじゃないですか?』『楽しいのが1番ですよ!』と言ってくれた。

 

黒歴史だらけの人生の中で、少しばかりの輝いていた時代を思い返してみる。ポワン、と小学6年生の吹奏楽部の大会で、センターでドラムを叩いている自分の姿が浮かんだ。

 

それまでパーカッションのみんなの中でドラムを叩いていたのに、夏休みに指導してくれたどこかの外部の先生が「あなた、真ん中で叩こう!」と言った。

 

わたしは、クラリネットやフルートの木管楽器と、トランペットやトロンボーンの金管楽器の列の間に挟まれるような位置に、ドラムセットを移動した。カオス。斬新なフォーメーションすぎて、当時は戸惑ったけれど、存在を認められたようで嬉しかったのを覚えている。「じゃまだよ」と後ろから聞こえた気もしたけれど、本当に誇らしい気持ちだった。

 

 

いつから、こんなに自分をおさえるようになったのだろう。だって、集団の中で浮いてしまうのが怖いから。音楽発表会で心地よいリズムに合わせ身体を揺らしていたら、先生に「動かない!」と怒られたことを鮮明に覚えている。恥ずかしかった。自分が発言すると、その場の空気が変わってしまうことも多かった。それからは、余計な事は言わず、目立たない努力をするようにした。

 

しばらくカフェドゥラペのマスターが、楽しそうにドラムの話をするので、注文するタイミングを失う。話が途切れたタイミングで、メニューを見ながら、「カフェ・ノワールとは、なんですか?」と聞くと、『珈琲は濃くて癖があるけど、柔らかい味わいの変わった飲み物です。』『チョコレートみたいな味もしますね。』とマスターは笑った。

 

なんだかよく分からないけれど、名前が魅力的なので、カフェ・ノワールを注文した。

マスターが、『濃いのにやわらかさもあって、不思議な味でしょう?』『こんなこと言うとお客さんに怒られちゃうんだけど、うちのお客さんは、変わった人が多いからね。』と笑いながら話す。

 

小さなカップはお花のような形でかわいいけれど、量の少なさに少しがっくりした気持ち。でも、一口飲んでみると、独特な味わいで存在感がある。そして、最後はほんのりと甘みを感じてやんわりした気持ちになる。本当に不思議な珈琲だった。

 

個性的だけど、包み込むような余韻とやわらかさ。小さいのに大きな存在感。なんだろう、今の自分に重なった。わたしも、普通そうに見せたり、変なところを隠す努力をするより、こんな珈琲のようになりたいと思った。