HSPと毒親育ち。自己否定の呪いに気づいたら、少し楽になった話
先日、HSPって友達いらないの?会いたくない・緊張・リセット癖の正体と関わり方 という記事を書きました。
やっぱりまだ答えは出ていないし、これからもHSP気質をもちながらも、それだけじゃない、どこにもカテゴライズされないはみだしもの的な自分を研究していきたいなって思っています。
ただ、この記事を書いてからまた内省を深めた気づきがあるので、シェアしたいと思います!
HSPの自己否定が、人間関係で相手の態度を引き寄せていた
まず、自分が、知らず知らずのうちに自己否定をしているから、相手からも否定されているように感じるってことです。
人は、合わせ鏡、目の前にいる嫌な人も、自分の中にあるものを投影している、っていう考え方があって、一理あるなって思ったんです。
だけど、どう考えても受け入れられない人もいて、そんな自分も同じレベルなんだ、ってさらに落ち込んでしまい。
もちろん、ワーワー怒鳴っている人も、たしかに内側で奥底では誰にも分かってもらえない苦しみや悲しみがあるのかもしれないから、気持ちは分かろういい面を見ようとは努力はしてみるのですが・・
そんなにまだ人間ができていないわたしは、「こんな人とわたしは同じレベルなんだな」と思うと、それはそれで結構つらいなって思ったんですよね。
ただ、これだけは自分の責任だなって思ったことがあって。
それは、自分が無意識のうちにへりくだっている、自分が自分で自己否定をしているからってことなんです。
たとえば、とあるカフェのオーナーさんに「働いてないの?大丈夫?」と言われたり、「このイラストでお金とってるの?」と言われて、すごくムカついてしまったんですが。
それはもとをたどれば、自分が先回りして、(いやいやわたしなんて無職ですし)(いやいやイラストやZINEを作ったりしたけど、大したことないし)(人にうまく自分のことを説明できないコミュ障ですみません)とか、ネガティブ、自分を低くばかり言っていたことがはじまりだったんですよね。
おそらく、(こんな自分はダメなんです)(わたしは大したことないんです)と初めからPRすることによって、必要以上に期待されない、がっかりされないメリットを得ている。
自己防衛ですね。
だんだんと相手の人が、馬鹿にしてきたりお説教をしてきたりする(ように感じる)のがツラい、だから人とは定期的に関わりたくない。
でもそれって、自分が引き起こしていたことじゃないか!
結局、人は、見た目や、目に見えない波動的なものを感じ取って、瞬時に目の前の人との関係性の中で自分のポジションや役割を見つけて演じてしまう生き物なんですね。
HSP 毒親育ちと、そうじゃない人。同じ気質なのに捉え方が違う理由
今までわたしはずっと、わたしってHSPなのかな?という問いと向き合ってきました。
繊細で傷つきやすい、そういう部分もあるかもしれないけれど、同じHSPの人でも、全く交わらない人もいるし。この違いはなんなのか?
いつしか、「わたしはHSPじゃない!」と逆にこじらせ始めていました笑
今まで、ストレングスファインダーやMBTI診断、自己理解的な書くワークとか、四柱推命とか、星読みとか、数えきれないほど自分とは何か?を探し続けてはいるんですけど。
ひとつ分かったのは、個々の生まれ持った特性はもちろんあるけれど、育ちや環境によっても、ある程度決まってくるのではないか?ということなんです。
わたしは、学生時代、学級委員とか応援団とか、それなりに人前に立つことを頑張ってきました。優等生な時代もあったんですよね。
だけど、それはやっぱりどこかで親が喜んでくれることを求めていた。人の目を気にしていた、賞賛を求めての行動だったなと思います。
わたしの周りにもHSPで生きづらいという方がいて、お話を聴くと、同じくすごく勉強を頑張ったと言っていて。
だけど、正直言って、おっしゃっていたのが、地元の名前を書けば入れるような学校で。びっくりしてしまいました。
わたしはずっと、あんな学校には行くな!と絶対許されなかったよって。(決して本人には言わないけれど)
それよりも、それでも頑張ったって言っていいんだ!と衝撃を受けたんです。頑張りは人それぞれだけれど。とてつもない衝撃でした。
聞くと、お母さんは勉強ができてなくても否定しない、あなたならできるよ!と、惜しみなくお金を出してくれたそうです。大学もアート系の私立の四年生大学に行ったあと、美術の専門学校にも行かせてもらったそうで。
わたしは未だに、まともに大学を卒業できずに、通信制大学でやっとのことで学士をとれたことや、その後の就職でも続かず、新潟に帰ってきてしまった挫折、実家暮らしな身分に罪悪感でいっぱいなのに・・
でも、その方は、あまり自分のことをダメとか親に申し訳ないとは思っていないようで。
どうして、同じ気質なのに、こんなに捉え方が違うのだろう?
生まれや育ちで全てが決まるわけじゃないと言い聞かせて、もういい大人なんだから、今からでもいくつからでも人は変われる!って信じたかったけれど、やっぱり何周してもどんなやり方をしても、どの仕事に就いても、わたしはここに戻ってきてしまうんです。
もはや、人生って、幼少期で決まっているんじゃないか?とすら思えてきました。
HSP 毒親育ち、母のことを少しだけ許せてきた話
わたしの母は、「子どもが子どもを育てていたようなもんだよね。他のお母さんはもっとどっしりしていたのに。ごめんね。」と言っていて、最期にようやく、(こんなことを言ったらダメなのかもしれないけれど)、救われた気持ちがしました。
母自体がとても感受性が高く真面目で神経質だった。そして、口癖が「ダメ」。今のわたしにも、しっかり根付いています。
母の機嫌に振り回されて、いつも父親の悪口を聞いて育ったわたし。
なんだかいつも(どんくさい)(何でそんなこともできないの?)と否定的で険しい言葉と顔しか思い浮かばず。
実は、ずっと恨んできたのですが、最近はようやく、ほんのすこしずつ、母は母で先回りしてわたしが危険な目に遭わないように、怒ってくれていたのかもしれないとも捉えられるようになってきました。
これはこれで、わたしの幸せを願ってくれていた行動だったのかもしれない。
SNSを開けば、毒親のせいだ!解毒が必要だ!って言っている人もいて、そうだよなぁって思うし、そこまで割り切れればいいんだけど、それができない。
毒親リストに確実に当てはまるけれど、自分の親を毒親と呼ぶのは、心がぎゅっとなる。
それもわたしが、いい子ぶっているだけなのでしょうか?これが、洗脳なのかな?
いまだに親の価値観で生きている自分、学歴で人を判断している自分が恐ろしいのですが、なかなか抜けないんですよね。
いつまでも親のせいにしている自分もダサいですが、おそらく、「わたしはこんなに頑張ったのに、なんであの子は!」という怒りが、子どもの頃から、大人になっても、ず〜〜っと抜けない。
だから、人のことをいつもジャッジして、少しでも自分よりも秀でている人がいると恐怖だし、ライバル視してしまうのかも。それが、友達や人付き合いに影響しているのではないかな?って、最近思っています。
自分の居場所をとられる!って、相手は誰もわたしを攻撃していないのにね。
HSPと毒親の呪い。気づくことが手放す第一歩
- 自分がへりくだると、相手もそう扱ってくる
- HSPの生きづらさは、気質だけじゃなく育ちも関係している
- 同じHSPでも、親の関わり方で自己肯定感は全然違う
- 毒親を許せなくてもいい、でも呪いに気づくことはできる
- 「わたしはダメ」の口癖を手放すことが、第一歩
自分が苦しんでやってきたことがあると、人にも押し付けるようになるんですね。こわい・・
だからこそ、そろそろ苦しい努力を手放して、自分の好きなこと、心のままに、生きていきたいと練習しているところです。
が、まだまだ、働かなきゃ、もっともっと稼がなきゃ、と、”ねば”の鎖に、苦しんでいる気がします。
HSPの友達の関わり方について書こうと思ったのに、なんだか気がつけば、自分自身の捉え方のくせから、毒親の呪い?について語ってしまうことになっていましたね。
この件については、まだまだ答えは出ていないし、これからもずっと探索し続けていくのだと思います。
どうか(わかる)と感じてくださる方がいたら、一緒に探し続けていきましょうね。
また、わたしは、HSP(繊細さん)なところはあるけれど、周りからは「行動力があるよね!」と言われることも多くて。なぞです。自己評価と他者評価って違いますね〜
でも、たしかに、限りなく内向型なんですが、とつぜん勢いで突撃してしまう。だからこそ、変なこと知っているし、変な経験値はある。
繊細だけど、ときどきエネルギッシュ!みたいな。
こんなヘンテコリンで、どのカテゴリーにも属せず、ちょっぴりはみだしちゃう。
そんな自分に、これからも折り合いをつけながら付き合っていきたいし、そこにパワーを感じる方との出会いも楽しみたいなって思います。
というわけで、NOカテゴリーな星七(ほしな)えりを、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました💫🌸



