とても調子が悪く、気持ちを吐き出したくなったので、ブログを書きたいと思います。年末の近所の火災騒ぎ、大雪、地震。いろんな不安ごとが一気にきて、心が疲れています。
緊急地震速報のあの音が本当に苦手で、もう影響はないと頭でわかっていても、「いつまた鳴るんだろう?」と不安で気が休まりません。ぐっすり眠れない日々が続いているし、いろんな方からのメールも返せていません、申し訳ないです…。まったく、外を歩けばみんな平気そうに日常を送っているというのに、ひとりだけ引きずっていてトホホですね。
ブログなんて書いていて、意味なんてあるのか?という突然の虚無感
久々に虚無感もやってきました。結局、わたしがこうしてブログやSNSで文章を発信したところで、なんの意味があるんだろう…?という虚無感。ちょっとでも誰かの心がホッと安心する言葉をお届けできたらいいな、なんて思っていたけれど…結局そんなの後付けで、わたしはわたしのために書いているんだよなぁ。
だって、人の心を救うのは、結局、そばであなたの話をよ〜く聴いてくれる人がいるかどうか?だと思うから…。みんな自分のこと話したいんだよ。吐き出したいんだよ。聴いてほしいんだよ。それで、うつの症状がどれだけ楽になるか、わたしは知っている。そばにいれなくちゃ、意味がない…
そう考えると、「あなたの心がホッと安心する文章をお届けします」なんて語っていた2月初旬の頃のわたしが、とても恥ずかしくなってきます。おこがましい&押し付けがましい…わたしに一体何ができるというのだろう、自分が生きることすらままならないのに。
本当は、少し気持ちが浮上したらブログを書こうと思っていたのですが、この落ちている状態の自分のことも記しておきたくて。今、一ヶ月の中でも特に不調なサイクルの時期(PMS)なのですが、こんなダメダメな状態の自分でも、「いいんだよ」と思える練習のためにも。
冬を乗り越えても、また不安な春はやってくる
冬は冬でしんどいけれど、春になったらなったで、自律神経がおかしなことになって調子が悪くなります。最近読んだエッセイ「眠れぬ夜はケーキを焼いて」の中に
「生きている限り、また必ず苦しくなるというのに、いったい何が大丈夫なんだろう?」
という一節がありますが、本当にその通り。やり過ごしたところで、また不安はやってくる。
今、実はけっこうしあわせで、わたしには話を聴いてくれる人もいるし、先日とあるエッセイ賞で受賞して個人の活動も一応、認められもした。それなのにどうしてこんなに満たされないの?何が虚しいの?
でも、不安が消えたわけじゃない。この先待っているのは、老いとか、親や大切な人の病や死とか、災害に怯える日とか…あと何回怖い思いをしなくてはいけないのか?考えだすと気が遠くなるのです。
ここまで書いていて、気がつきました。ひどいですね。このブログを読んだ方が鬱な気持ちに引っ張られてしまわないかな?としんぱいです。ごめんなさい、でも、どうしても書かずにはいられなかったのです。
散財している罪悪感を抱えつつ、心に栄養を与えている
最近、相変わらず人混みを避けてお茶をしに行っているのですが、カフェに行っても行っても満たされません。甘いものを食べても食べても満たされない。次はあのお店にいこう、あれを食べよう、がとまらない…。
本もアマゾンで購入しては読みあさっています。人のエッセイを読んで、「こんな作品をわたしも書きたい」「そうそう!これが言いたかったんだよ、わたしゃ…!」が溢れてる。
お花やドライフラワーもおうちに連れ帰ってしまいます。結構いい値段がするのにね…。でも、見ると心がキュンっとするから。
はぁ、またこんなにお金を使っちゃった…。無駄遣いしちゃった…。
ん?でもこれって無駄遣いなのかな?
そうじゃないのかも…?
だって、心を癒すために買っているのだから。
今は、心にも体にも栄養を与えている時期なんだ、それでいいんだ。無駄なことなんてない。もう、そう思うことにしよう。心ときめくモノに触れることは、わたしが文章を書く上でも、精神衛生上にも役に立つかもしれないし、最悪、別に役に立たなくてもいいや。
そうして「えぇい!食べちゃえ!」と食べた、ちょっとお高い、苺のクリームパイ。
おしゃれな人たちに背を向けたテーブルにひとり着席し、パクッと頬張ります。
春を感じるーーーー。
食べたら、なんだか元気が出てきました!(ありがとうございます)
パッとカフェの窓側に目をやると、曇天の中から一瞬、サァァッと光が。
わたしがブログを書くことにも、1日1回カフェに行かないと死んでしまう病に罹患していることも、生きていることも…意味なんてなくてもいいのかも!とすこしだけ楽になった瞬間だったのでした。